text : Yosuke Matsubara

Date: 2025.08.07

地図を眺めるという行為は、上空から世界を見下ろす鳥のような視点をもたらします。 

足元にある道のつながり、建物の配置、そして見えない関係性までもが、俯瞰によって新たに浮かび上がってきます。

日本で本格的に測量に挑んだ伊能忠敬は、その地図づくりに余生の時間を捧げました。

彼が「犬の糞をも避けずに測量に徹した」と語り継がれる逸話は、情熱と精度への執念を物語るものです。

一定のペースを守って歩きながら計測を続けた姿勢は、ひとつひとつの点や道に対して意味を見出しながら、地表に確かな「輪郭」を描いていく行為そのものであります。

つまり、地図とは上空からの視点で構築されるものであると同時に、地を這うような足元からの観察によってしか生まれない実感の集積でもあるのです。

微細で手触りのある情報を得るには、やはり歩くことに勝る方法はありません。

地図をつくるとは、空と地面のあいだを行き来しながら、自分なりの「把握」を更新しつづける作業なのだと思います。 

そんな思考の循環が、「堂々巡り」という言葉の持つ本質に重なって見えることがあります。

同じ場所を何度も巡る、繰り返す、戻ってくる——それは時に、無意識に育まれることもあります。

MONO派の現代作家・李禹煥はこう記しています: 

– 

現代のキーワードは組替え、差延(ズラし)、繰り返しである。
哲学者や芸術家のモチーフもこの三つを超えない。
新しく作ることが意味をなくし、すでに生産されたものを脱構築しながらやってゆこうということらしい。
しかし、そのような堂堂巡りも、時間と共に退屈になり空洞化するはずだ。
それよりは、時には何もない蒼い空でも眺めたらどうか。
そこにはまだ、手の届かないものが見えるかも知れない。 

 ── 李禹煥『余白の芸術』「現代のキーワード」より

「地図を描く」とは、ただ地形を写すことではなく、情報が過剰になった時代にこそ必要とされる、「個人の地形感覚」を再構築することの試みでもあります。

『DODO MEGURI』は、そのような思考の起点から生まれたローカルガイドです。 

皆さまにご覧いただけますと幸いです。