
text: Yosuke Matsubara
Date: 2025.08.18

八重干瀬を“やびじ”と呼ぶようになったのは、いつからだろうか。
これまでは“やえびし”と呼ばれ、お食事処にも使われている。地元の人々の間では、その呼称が共通認識だった思う。(そもそも漢字四文字の“やえびし”が、なぜ三文字の“やびじ”に変化したのか。)
でもでも、元々は“やびじ”として繁栄されてきたワードが“やえびし”と漢字を当てたことによって変換した(された)のかもしれない。
そう、いわゆる堂々巡りである。
下地島空港もそうだ。
今では“しもじしま”と呼ぶのが通称だが、昔は“しもじジマ”と発音していた人もいたはず(いるはず)。空港として利用されだし“ジマ”の濁点が省かれ、そのまま大衆に受け入れられたのだろうか。
さらに踏み込めば、“シミュレーション”が“シュミレーション”として和製英語化し、独り歩きした呼称。
あるいは“雰囲気(ふんいき)”を“ふいんき”と誤って発音しても、今では誰も何も違和感をもたない。
言葉とはこうして、時代に沿って自然に変化していくものなのかもしれない。
書籍『人間はなぜ歌うのか? 人類の進化における「うた」の起源』によれば、言葉が生まれる以前、人は歌い、踊っていたという。目の前に現れた敵を威嚇するために大声を発したり、身体を動かすことで生存本能を研ぎ澄ませていた。それがやがて、生活の変化とともに「言語」へと姿を変え、円滑なコミュニケーションの手段となり、会話を楽しむようになったということらしい。
ちなみに作家・岡本太郎が制作する作品につけるタイトルについて語っている(1954年)。言葉の意味をあえて無効化し、作品そのものに力を託す姿勢。
稀代の音楽家・エイフェックスツインの名アルバムにも、曲名を記号だけで示した作品がある。そこには言葉よりも音そのものの力を信じる姿が表れている。
話しが脱線したが、こうして考えると、言葉の流動性や意味の変化は、人が生き続ける限り果てしなく続いていくのだろう。
言葉は固定されるものではなく、常に揺れ動きながら、時代とともに生きている。

ジャンゴ 繋がれざる者 2012

Django Unchained 2012

